ギャレット(フレディ・ソープ)。 ターゲットにして奪った車は、
なんと残忍なマフィアの車だった!
マフィアに囚われてしまった2人の、命が助かる条件は、
敵対するマフィアが所有する62年型フェラーリ250GTOを1週間で盗むこと。
寄せ集めのチームで、犯罪史上最大の強奪作戦に挑むも、
上手くいかず恋人まで人質にとられてしまう。
だが、実はピンチさえも兄弟の「計画」だった……!?
ポスタービジュアルを見ても分かる通り、
映画「スクランブル」が最も前面に押し出しているのは、数々のレアクラシックカーの存在です。
主に劇中に登場するのは50年代~60年代のクラシックカーで、作品内でも大きな役割を持つのは、
世界に2台しか存在しない32年式の「ブガッティ タイプ 57SC アトランティック」と、
同じく希少な62年式の「フェラーリ 250 GTO」の2種。
配給会社の試算によれば、なんとこれら劇中車の価格は
総額で75億円を超えるといいます。
希少なクラシックカーの調達は、南仏の個人コレクターから行っており、
劇中の一部に登場する12台のフェラーリは、
フェラーリをその数45台も所有しているというオーナーから借りたそうです。
完璧なレプリカと、南仏の華麗なるコレクターたちの名車の数々
修復のために使われた実際の鋳型を借りて、レプリカを2台作った。
外観は同じだが機能は運転に耐えられるように
エンジンはローバー製を搭載するなど現代仕様に変えた。
フェラーリ250GTO は当時のエンジンや多くの
本物同様の部品を使ったリクリエーションモデルである。
それ以外はすべて、南仏の個人のコレクターが所蔵している実物を借りた。
オーナーたちは、車への情熱からコツコツと頑張った者もいれば、
大金持ちで驚愕のコレクションを誇る者もいる。
クレンプのガレージにあるフェラーリのうち12台は、
なんと45台のフェラーリを所有しているというオーナーから借りた。
兄弟が普段乗っている車はBMWだ。
過去の映画でもBMWを使ってきたモレルとの信頼関係から、
本作でもM3、6シリーズ、グランクーペなど、多数の車が提供された。
BMW愛好者のクラブのメンバーから借りた、貴重な30年代のBMW327も登場する。
今や道路で1番目にするのが日本車なので、目立たないために乗っているという設定だ。
「これほど価値のあるクラシックカーが、次々と登場する映画は初めてだろう」とモレルは胸を張る。
クラッシックカーはもはや、4つのタイヤがついた美術品で、投資の対象にもなっている。
また、歴史と文明の証言者でもある。
「電気自動車が主流になり、車という存在の意味そのものが
変わろうとしている今、この映画を作ったのはタイムリーだった。
また、作品として残すのは意義のあることだったと思う」と、
映画と同じくらい車を愛するモレルは、最後に感慨深そうに語った。
フェラーリ 250 GTO 1962年式■時価42億円
1962年から64年までの2年間のみの販売期間で、たった39台しか作られていません。
GTOは、「グラン・ツーリスモ・オモロガート
(正式にグランドツーリングカーに認められた、という意味)」の略称です。
2014年の米カリフォルニア州で開催されたオークションでは、
フェラーリ 250 GTOが出品された際、なんと約39億円で落札され、
当時の自動車オークション市場最高値とされています。
GTOのOはイタリア語のオモロゲーション(ホモロゲーション=公認)を指す。
シャシーは250SWB、エンジンは250TR がベース。
エアロダイナミクスは風洞実験によって開発された。
ノーズ先端に設けられたフラップは、スプリントレースでは開いて冷却を助け、
長距離レースでは閉じて空気抵抗の減少に役立てた。
その戦績は、ツーリスト・トロフィーで2勝、
そしてトゥール・ド・フランスでも2勝を挙げたほか、
当時開催されたほとんどすべての耐久レースでクラス優勝を果たし、
1962年、63年、64年のFIA GT 選手権でタイトルを勝ち取った。
39台が生産され、その全てが現存。
50億円を超える価格で取引されたこともある。
ブガッティ タイプ 57SC アトランティック 1937年式■時価30億円以上(不明)
1934年から1940年まで販売していた高級車です。
1937年式の「アトランティック」と呼ばれるモデルは、
第二次世界大戦前の最も美しい自動車として著名です。
アトランティックはたった3台しか製造されておらず、
そのうち1台は50年以上前に鉄道事故で大破しており、
また別の1台は服飾デザイナーの「ラルフ・ローレン」が所持しています。
では、そんな貴重なブガッティをどうやって映画に登場させたかと言いますと、
冒頭に出てくるブガッティは、ラルフ・ローレンの博物館に所蔵されている本物から、
修復のために使われた実際の鋳型を借りて作られたレプリカなのです。
ブガッティの創業者、エットーレ・ブガッティの息子であり
芸術家のジャン・ブガッティが手がけた優美なスタイリングは、
ボディパネルを外部からリベット留めで貼り合わせるという、
きわめてユニークな手法で作られている。
これは、同モデルのプロトタイプが可燃性のマグネシウム合金で
作られていたために選択された手法だったが、
ボディのつなぎ目がこの上ないアクセントとなっていたため、
アルミニウム製ボディの市販バージョンも同じ手法で作られた。
わずか数台しか生産されなかったが、その全てがいまも大切に保存されている。
フォード マスタング■時価700万円~1600万円
スポーツカーとして登場したものが、フォード マスタングです。
作中に登場するのは、1964年~1968年に発売されていた初代モデルです。
ルーフラインが流麗な「GT ファストバック」や、
オープンカー仕様の「GT コンバーチブル」も存在します。
フォードのスポーティーカー、マスタング。
劇中に登場する車は1964年から1968年にかけて生産された初代。
初期装備をできるだけ簡素にして価格を抑えつつ、
多彩なオプションを用意してカスタマイズの幅を広げる
「フルチョイスシステム」の導入により、幅広い層に受け入れられた。
ボディタイプはハードトップのほかコンバーチブルも用意され、
1965年からはテールにかけてなだらかに傾斜した
ルーフラインを持つファストバックが登場した。
オースチン・ヒーレー(ヒーリー)100-6は、
1956年~1959年にかけて販売された「100」の後継モデルであり、
100の名が冠された最後のモデルです。
100という名は、イギリスのラリードライバーであり自動車エンジニアでもあった
ドナルド・ヒーリーにより、「時速100マイル」を達成できる車両であるとして名付けられました。
オースティン・ヒーレー100は、1950年台に英国で生産されたスポーツカー。
モデル名の「100」は最高速度が100マイル超であることに由来している。
100-6はその後期型で、2+2シーターのBN4と、2シーターのBN6が存在する。
作中に登場する車両は、1958年から59年にかけて生産されたBN6。
ボンネットに設けられたエアスクープや、固定式のフロントウィンドウが外観上の特徴だ。
搭載されるエンジンは2,639ccの直列6気筒と大型。
ジャガー Eタイプ 1966年式■時価1200万円~3400万円
1961年から1975年の間販売された高級スポーツカーです。
スポーツカーの特徴である「ロングノーズ・ショートデッキ」を
これ以上無いくらいに表現した美しいボディが魅力です。
ハードトップのモールはクロムメッキ加工で、
ドアノブもスポーツカーとしては珍しいシルバーが光る、
様々な箇所に技巧が凝らされたデザインも、全体的な美しさを整えています。
デザインの美しさが話題となったモデル。
もと航空エンジニアだったマルコム・セイヤーによるスタイルは
エアロダイナミクスも優れており、
最高速度は240km/hに達したといわれている。
劇中に登場する車両は初期型「シリーズ1」の2+2。
ボディラインに溶け込むようにヘッドライトがガラスカバーで
覆われたデザインは極めて美しく、コレクターズアイテムとして人気が高い。
ジャガーXK120 ドロップヘッドクーペは、
ジャガー SS100の後継モデルとして1948年に登場しました。
XK120用に開発された6気筒エンジンは、
ジャガー社にて1997年まで使用される程の名機でした。
リアの派手過ぎる膨らみや、ミサイルのように突き出たフロントの印象が強烈です。
英国のジャガーが、戦後間もない1948年から1954年にかけて
生産したスポーツカーがXK120である。
モデル名に冠された「120」という数字は、この車の最高時速120マイル(約193km/h)に由来。
当時としては世界最速の市販車だった。
劇中に登場する車両はモデル末期の1953年に登場したドロップヘッドクーペ(DHC)。
開放的なオープントップボディに、
巻き上げ式ウィンドウとソフトトップが追加され、快適性が大きく向上した。
ポルシェ 356 スピードスター 1956年式■時価8000万円~1億4000万円
最初のスポーツカー「356」の56年式です。
56年式から、356の後継となる356Aが登場し、
5種類もの4気筒エンジンが用意され、
中でも最高出力の1500 GSカレラは100馬力を叩き出します。
ボディから独立したガード付バンパーが特徴です。
現在の911シリーズにも繋がる水平対抗エンジンをRRに搭載。
排気量は1,488ccで最高出力は55PSを発揮。
最高速度は155km/hだった。
本作に登場する車両はただのコンバーチブルではなく
「スピードスター」と呼ばれる特別なモデル。
通常のカブリオレよりもウインドシールドの高さが
抑えられたスポーティーなデザインが特徴だ。
ジェームスディーンがレースに使用したヒストリーや、
356の中でもごく初期に生産されただけにとどまり希少性が高いことから、
現在でもクラシックカーオークションにおいてコレクターズアイテムとなっている。
前後のバンパーやホイール、エンジン、内装などに製造年の違いがよくわかる。
328が登場した1937年に、326のシャーシに、
326のフロントサスと328のリアサスを取り付け、
両モデルの中間的なデザインを持つ327が発売されました。
327は、スポーツカーというよりはラグジュアリークーペの性質を持っており、
2ドアクーペとオープンタイプであるカブリオレがラインナップされていました。
BMWがスーパースポーツカー「328」を発表した数カ月後、
1937年の11月に誕生したラグジュアリークーペ。
全長4,500mm、全幅1,600mm、全高1,420mmという
堂々たる風格のボディに、流麗なストリームライン・ボディを架装。
エンジンは「326」に搭載されていたものをベースとした
最高出力50hpの1,971cc直列6気筒ユニットと、
「328」に搭載されていた最高出力80hpの1,971cc直列6気筒ユニットが用意された。
328と共通のパワートレインが与えられたハイパワーバージョンは、
最高速度140km/hをマークした。
生産は1941年まで続けられたが、第二次世界大戦の勃発により一時中断。
しかし、戦後の1946年から生産は再開され、
1951年までに全部で2470台が生産された。
AC自動車の倒産後に商標権を取得したシェルビーが
製造・販売を始めたモデルがシェルビー AC コブラです。
コブラ 427は、ACカーズ製のボディに、フォードが提供した
「ビッグブロック」と呼ばれるレース用V型8気筒7Lのエンジンを搭載しています。
その「ビッグブロック」エンジンの排気量である7Lは、
同時に「427」cu.in(キュービック・インチ)という単位でも数えられ、
名前の由来となっています。
アメリカを代表する名車のひとつとして知られるコブラだが、
そのルーツはイギリスのACカーズが
生産していた「ACエース」というスポーツカーだった。
コブラの第一号車は、アメリカ人レーサーのキャロル・シェルビーが、
ACエースにアメリカンV8を搭載する提案をしたことが
きっかけとなり1962年に誕生。
初期型(MK I)のエンジンは4.7リッターV8だったが、
1965年には排気量が7.0リッターにまで拡大された「コブラ427」も登場するなど、
大排気量エンジンを搭載したハイパワーな車へと進化を遂げていった。
1972年から1989年にかけて製造・販売したスポーツカーです。
V8の名の通り、V型8気筒DOHCエンジンを搭載しており、
当時からすると非常に豪華な設計でした。
「サルーン」・「ヴァンテージ」・「ボランテ」・「ヴァンテージ ボランテ」の
4種類が存在しますが、ボランテはオープンモデルを指します。
ボランテは、映画「007」でかつてのジェームズ・ボンドを演じた
「ティモシー・ダルトン」の愛車で有名です。
アストンマーティンが1972年から1989年までの
長きにわたって生産したグランドツアラー。
「V8」という名は、搭載される5,340cc V8エンジンに由来する。
大排気量エンジンがもたらすパワーと、全長4,590mm、全幅1,830mmという
ダイナミックなスタイル、そして子牛5頭分のコノリーレザーが使われた
豪華なインテリアをもつ、贅沢な車だ。
ちなみに、アストンマーティンはオープントップ仕様車のことを「ヴォランテ」と呼ぶ。
C1は、コルベットの初代モデルに当たり、まだ本質的なスポーツカーとして
完成されていたわけではありませんでしたが、独特な雰囲気が魅力です。
スチール製のバックボーンフレームに、
FRPボディパネルを貼り付けていたため、
温度差によってボディパネルが歪んでしまうという品質不良も発生していました。
1954年に登場した、シボレー・コルベットの初期型「C1」。
量産車初となる、FRP製ボディを架装した車だ。
発表された当初は、スポーティーなのは外観ばかりで、
旧式エンジンを搭載した遅い車だった。
しかしその後、度重なるマイナーチェンジが行われ、
急速にスーパースポーツカーへと成長を遂げていく。
スタイリングにも改良が加えられ、1958年にはヘッドライトが
丸目2灯から丸目4灯へ、1961年にはテールエンドの造形が変更された。
アルファ ロメオ 158■時価不明
開発したフォーミュラカーです。
戦前の1938年からレースに投入されており、
デビューレースでは優勝しましたが、39年のトリポリGPでは
メルセデスベンツのW165に敗北を喫しました。
戦後の1946年、GPレースに復帰した158は、
3年間で13連勝もの記録を残します。
1950年のイギリスグランプリでF1初戦初勝利を収め、
1951年には改良型の159にバトンを渡しています。
イタリアのアルファロメオが1938年に実戦投入した伝説的フォーミュラカー。
車名の「158」という数字は、搭載されるエンジンのスペック、
排気量「1.5」リッターの直列「8」気筒に由来している。
1940年まで大いに活躍したが、戦争中はモータースポーツ活動を中断。
1946年からふたたびGPレースに復帰し、無敵の強さを誇った。
1950年から開幕したF1世界選手権でも158は圧倒的な強さを誇り、
1 – 2 フィニッシュを遂げて優勝した。